紅蓮

#KIBITO
誰もがあいつを未熟と言うが、炎術にかけては当世一だ。
いや、歴代の中でもダントツだろう。
あいつがその気になれば、国一つ焼き滅ぼすのに
3日もかからんだろうな。
まぁそんな事態はまず起こらんから、心配するな。
…断言できるさ。
俺の弟子は馬鹿だか、力に溺れる三流ではない。
まず何より、あいつは炎術の使用を極力避けているくらいだ。
制御が効かないからじゃない。
『炎』がどれほど無情に、
冷静に 平等に
全てを飲み込んでいくものなのか、よく知っているからだ。
あいつの過去に何があったかなんて、俺は知らん。
ただ俺が教える前から、そのことだけは深く理解していたよ。
だから、いいか。
グレンだけは、絶対に怒らせるなよ。
怒りに満ちたあいつの姿は
『炎』そのものだ。
畳む

#KIBITO
誰もがあいつを未熟と言うが、炎術にかけては当世一だ。
いや、歴代の中でもダントツだろう。
あいつがその気になれば、国一つ焼き滅ぼすのに
3日もかからんだろうな。
まぁそんな事態はまず起こらんから、心配するな。
…断言できるさ。
俺の弟子は馬鹿だか、力に溺れる三流ではない。
まず何より、あいつは炎術の使用を極力避けているくらいだ。
制御が効かないからじゃない。
『炎』がどれほど無情に、
冷静に 平等に
全てを飲み込んでいくものなのか、よく知っているからだ。
あいつの過去に何があったかなんて、俺は知らん。
ただ俺が教える前から、そのことだけは深く理解していたよ。
だから、いいか。
グレンだけは、絶対に怒らせるなよ。
怒りに満ちたあいつの姿は
『炎』そのものだ。
畳む
惜別

「ヤナギ、なのか?」
ああ、そうだよ。
8341が私に、サヨナラを言う時間をくれたんだ。
モドキガミの特性だろう。
だが安心しろ。
もうすぐ…私の意識は消える。
しかし皮肉なものだ。
とうの昔に”教え”など捨ててしまったというのに
最期の最後にこの姿とは
「・・・・・・・」
心配するな。
私の瘴気は全て、この子に食われて消える。
たいしたものだ。
お前の血がよく馴染んだようだな?
私の知識は全てこの子に渡す。
あとはこの子に訊くといい。
ああ、そうだ。
「おい、何の真似だ?」
私の心剣。形見だよ。
身体が崩壊したせいで出てきたようだ。
受け取ってくれ。
「断る。
俺は『お前達』から打ち出される『それ』が
反吐が出るほど、大嫌いだ。」
知っているさ。
だからこそ使え、お前の復讐のために。
それにな、
今やこんなちっぽけなナマクラだけが
私が世界に存在したという、唯一の証なんだ。
持っていけ。
お前に使われるなら本望だ。
さてと…もう、往くよ。
この子に伝えてくれ。
助けに来てくれて嬉しかった。
ありがとう、と。
左様ならだ、バルムンク。
小さな我が友よ。
お前たちと戦場で出会わなくて
ほんとうによかった。
あのかわいい坊やと、仲良くな。
#王と皇帝
--------------------
・元・ハーディンの騎士、ヤクニ(八9二)
・ブラムド、バルムンク世代より200年ぐらい前の騎士。
畳む

「ヤナギ、なのか?」
ああ、そうだよ。
8341が私に、サヨナラを言う時間をくれたんだ。
モドキガミの特性だろう。
だが安心しろ。
もうすぐ…私の意識は消える。
しかし皮肉なものだ。
とうの昔に”教え”など捨ててしまったというのに
最期の最後にこの姿とは
「・・・・・・・」
心配するな。
私の瘴気は全て、この子に食われて消える。
たいしたものだ。
お前の血がよく馴染んだようだな?
私の知識は全てこの子に渡す。
あとはこの子に訊くといい。
ああ、そうだ。
「おい、何の真似だ?」
私の心剣。形見だよ。
身体が崩壊したせいで出てきたようだ。
受け取ってくれ。
「断る。
俺は『お前達』から打ち出される『それ』が
反吐が出るほど、大嫌いだ。」
知っているさ。
だからこそ使え、お前の復讐のために。
それにな、
今やこんなちっぽけなナマクラだけが
私が世界に存在したという、唯一の証なんだ。
持っていけ。
お前に使われるなら本望だ。
さてと…もう、往くよ。
この子に伝えてくれ。
助けに来てくれて嬉しかった。
ありがとう、と。
左様ならだ、バルムンク。
小さな我が友よ。
お前たちと戦場で出会わなくて
ほんとうによかった。
あのかわいい坊やと、仲良くな。
#王と皇帝
--------------------
・元・ハーディンの騎士、ヤクニ(八9二)
・ブラムド、バルムンク世代より200年ぐらい前の騎士。
畳む
確かに 眼が合った
決して、私に向けられることのなかった
『宵闇』が
私を見ていた
雷鳴

-Side A-
ミハごと、貫いてやろうと思った。
私の、ほんの一瞬の躊躇の隙に
全力で逃走を開始したミハは
すでに、100mほど先の彼方に走り去っている。
速い。
武戦術を行使しているとはいえ、
極限下の緊張の中
幼児一人を抱えてもあれほどの速度を出せるとは。
さすが、あの方が見込んだだけの事はある。
しかし、やはり若い。
速度重視での最短距離を選んだのだろうが、
まさかこんな身を隠すものがない
平野を駆けるとは。
格好の的だ。
手になじんだ愛剣に、魔力を流し込む。
私の意思に呼応して、槍状に刀身を変えた。
一撃だ。
一撃で、即死させてやろう。
大丈夫、外しはしない。
私の放った刃が、ミハエルの背に真っ直ぐと
吸い込まれるように突き立つ軌道を
イメージしながら。
私は、槍を投げるように深く
強く、身体を沈み込ませた。
終わる。
ただそう強く確信しながら
振りかぶった愛剣が、指先を離れかけた
瞬間
心臓が跳ね上がった。
-----------
-Side B-
どこかで、雷鳴が聴こえたような気がした。
その音で、落ちかけた意識を
辛うじて持ち直す。
ここは、どこだろうか…?
一瞬、記憶が混乱しかけたが
視界に入る景色から
西の庭園の中にいくつか点在する
小さな東屋の中にいるのだと、理解できた。
ああ、なんとかここまで逃れられたか。
安堵も束の間、
ハッとして腕の中におさまる
小さな御方の安否を確認した。
幼い双眸は閉じられ、
その白い肌は鮮血で染まっている。
「ブラムドさ…!」
思わず叫びそうになった直後、
すうすうと、穏やかな寝息が耳に届いた。
肌は血に染まっていたが、顔色は悪くない。
脈の確認も行ったが、至って平常である。
どうやらこの血は、私の傷から流れたもの
のみらしい。
「殿下⋯よかった⋯」
今度こそ本当に、安堵の溜息が出た。
あの時。
ブラムド様を抱えて
全力で走り始めた、数秒後。
背後から感じた、猛烈な殺意と気迫に
開けた平野を逃走路に選んだことを
激しく後悔した。
と同時に
自分は死ぬのだ
という事を、はっきりと悟った。
ブラムド様。
だめだ、守り切れない。
自分もろとも貫かれる。
地面に投げ出すか。
いや、この速度のなか腕から放り出せば
幼い殿下はただではすまない。
仮に攻撃を逃れても私が死んだ後に
殺されるだけだ。
転移術…詠唱が間に合わない。
どうする。
どうする…!?
一瞬のような
数分、数秒のような
奇妙な感覚の中で必死に考えを巡らせながら
自分の身体を無意識に
『変化(ヘンゲ)』させていることに気付いた時。
私の肚は決まった。
首。
背骨。
絶命に至るような急所へ魔力を集中させ
防御を固める。
即死を回避するためだ。
『変化』である私の身体は文字通り
変幻自在。
多少四肢がもげようと、
意識さえ保っていればどうとでもなる。
この一撃さえ、耐えることができれば。
あとはどうなってもいい。
とにかく一分一秒でも長く生きながらえ、
なんとしてでも、殿下を逃す⋯!
決意と同時に、炎のようにうねりを上げる
私の『影』に呼応するかのように
背後に迫る刺客の殺気も、一気に膨れ上がった。
そしてついに、
光のような一閃の刃が放たれた。
来る!
まるで磁石に引かれるかの如く、
刃が私の心臓を目掛け、降りてくるのがわかる。
私は、コンマ数秒後に訪れるはずの死神の一撃に
全神経を集中させた。
その時。
私の意識の全てを
雷轟が支配した。
その後は、何も思い出せない。
柱にもたれかかっている、肩から腰にかけて
ひどく熱いという以外に感覚が無く、
あの一撃を食らったもののなんとか即死は
回避できた、という事実だけしか
理解できなかった。
空は相変わらず、青く広く澄み渡っている。
あの轟音は、
刺客の一撃がもたらした衝撃音だったのか。
死線を越えかけた時に聞く、幻だったのか。
わからない。
なにも。
朦朧とする意識の中で
私は右手の無線機から、緊急信号を発し続けたが
治療室で再び意識を取り戻す時まで、
その無線機が壊れていた事に気付くことは
なかった。
後にわかったことだが
あの日 、王宮を含む帝都にいた全ての人間が
その轟音を耳にしており
直後、帝都内の全て術具が機能を停止し、破損。
甚大な被害をもたらしたという。
帝国はこの事件を、
魔導兵器の性能テスト中に起こった爆発事故による衝撃波が原因だったと発表。
この実験に参加していた
兵団の隊員、4名が犠牲になったと報じた。
ブラムド様の暗殺事件は、
事実上、闇に葬られた。
生還した私は
あの日に見聞きしたこと、
その全てを死ぬまで口外するなと
陛下より厳命され、
陛下亡き後も、その命令を忠実に守り続けている。
最も心配していた
暗殺されかけた、ブラムド様ご本人は
まるで、その日など存在しなかったかのように
一切何も、覚えておられなかった。
------------
-------
-----
どこかで、雷鳴が聞こえる。
こんなに澄み渡った蒼天なのに。
⋯⋯。
私は多分、きっと、
心のどこかで期待していたのだ。
もしも、
もしもあの御子様に何があれば、と。
そうすれば⋯⋯⋯。
そんなこと、あるわけないのに。
大義名分を、己の中でいくら正当化しても
根底にあるのは、自分のことだけ。
叶うはずもない、夢想の願いだけ。
結局、揺らがなかったのは「あの人」だけだった。
先に裏切ったのは、私の方だったのだ。
でなければ【アレ】が
あそこにあるはずが、無いのだから。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
なんだか、
ひどく、疲れた。
後悔しないと、決めていた筈なのに。
ああ本当に、本当に滑稽な私。
最初から最期まで道化のようだった。
ごめんなさい、先生。
貴方のような「剣」にはなれなかった。
その資格が無かった。
貴方の名誉を汚した罪は、すぐにけじめを付けます。
だから大丈夫。
何も心配しないでください。
ああ
本当に、良い天気。
日向がとてもあたたかい。
こんな気持ちいい、日向のもとを
あの子と歩いてみたかった。
畳む #王と皇帝
決して、私に向けられることのなかった
『宵闇』が
私を見ていた
雷鳴

-Side A-
ミハごと、貫いてやろうと思った。
私の、ほんの一瞬の躊躇の隙に
全力で逃走を開始したミハは
すでに、100mほど先の彼方に走り去っている。
速い。
武戦術を行使しているとはいえ、
極限下の緊張の中
幼児一人を抱えてもあれほどの速度を出せるとは。
さすが、あの方が見込んだだけの事はある。
しかし、やはり若い。
速度重視での最短距離を選んだのだろうが、
まさかこんな身を隠すものがない
平野を駆けるとは。
格好の的だ。
手になじんだ愛剣に、魔力を流し込む。
私の意思に呼応して、槍状に刀身を変えた。
一撃だ。
一撃で、即死させてやろう。
大丈夫、外しはしない。
私の放った刃が、ミハエルの背に真っ直ぐと
吸い込まれるように突き立つ軌道を
イメージしながら。
私は、槍を投げるように深く
強く、身体を沈み込ませた。
終わる。
ただそう強く確信しながら
振りかぶった愛剣が、指先を離れかけた
瞬間
心臓が跳ね上がった。
-----------
-Side B-
どこかで、雷鳴が聴こえたような気がした。
その音で、落ちかけた意識を
辛うじて持ち直す。
ここは、どこだろうか…?
一瞬、記憶が混乱しかけたが
視界に入る景色から
西の庭園の中にいくつか点在する
小さな東屋の中にいるのだと、理解できた。
ああ、なんとかここまで逃れられたか。
安堵も束の間、
ハッとして腕の中におさまる
小さな御方の安否を確認した。
幼い双眸は閉じられ、
その白い肌は鮮血で染まっている。
「ブラムドさ…!」
思わず叫びそうになった直後、
すうすうと、穏やかな寝息が耳に届いた。
肌は血に染まっていたが、顔色は悪くない。
脈の確認も行ったが、至って平常である。
どうやらこの血は、私の傷から流れたもの
のみらしい。
「殿下⋯よかった⋯」
今度こそ本当に、安堵の溜息が出た。
あの時。
ブラムド様を抱えて
全力で走り始めた、数秒後。
背後から感じた、猛烈な殺意と気迫に
開けた平野を逃走路に選んだことを
激しく後悔した。
と同時に
自分は死ぬのだ
という事を、はっきりと悟った。
ブラムド様。
だめだ、守り切れない。
自分もろとも貫かれる。
地面に投げ出すか。
いや、この速度のなか腕から放り出せば
幼い殿下はただではすまない。
仮に攻撃を逃れても私が死んだ後に
殺されるだけだ。
転移術…詠唱が間に合わない。
どうする。
どうする…!?
一瞬のような
数分、数秒のような
奇妙な感覚の中で必死に考えを巡らせながら
自分の身体を無意識に
『変化(ヘンゲ)』させていることに気付いた時。
私の肚は決まった。
首。
背骨。
絶命に至るような急所へ魔力を集中させ
防御を固める。
即死を回避するためだ。
『変化』である私の身体は文字通り
変幻自在。
多少四肢がもげようと、
意識さえ保っていればどうとでもなる。
この一撃さえ、耐えることができれば。
あとはどうなってもいい。
とにかく一分一秒でも長く生きながらえ、
なんとしてでも、殿下を逃す⋯!
決意と同時に、炎のようにうねりを上げる
私の『影』に呼応するかのように
背後に迫る刺客の殺気も、一気に膨れ上がった。
そしてついに、
光のような一閃の刃が放たれた。
来る!
まるで磁石に引かれるかの如く、
刃が私の心臓を目掛け、降りてくるのがわかる。
私は、コンマ数秒後に訪れるはずの死神の一撃に
全神経を集中させた。
その時。
私の意識の全てを
雷轟が支配した。
その後は、何も思い出せない。
柱にもたれかかっている、肩から腰にかけて
ひどく熱いという以外に感覚が無く、
あの一撃を食らったもののなんとか即死は
回避できた、という事実だけしか
理解できなかった。
空は相変わらず、青く広く澄み渡っている。
あの轟音は、
刺客の一撃がもたらした衝撃音だったのか。
死線を越えかけた時に聞く、幻だったのか。
わからない。
なにも。
朦朧とする意識の中で
私は右手の無線機から、緊急信号を発し続けたが
治療室で再び意識を取り戻す時まで、
その無線機が壊れていた事に気付くことは
なかった。
後にわかったことだが
あの日 、王宮を含む帝都にいた全ての人間が
その轟音を耳にしており
直後、帝都内の全て術具が機能を停止し、破損。
甚大な被害をもたらしたという。
帝国はこの事件を、
魔導兵器の性能テスト中に起こった爆発事故による衝撃波が原因だったと発表。
この実験に参加していた
兵団の隊員、4名が犠牲になったと報じた。
ブラムド様の暗殺事件は、
事実上、闇に葬られた。
生還した私は
あの日に見聞きしたこと、
その全てを死ぬまで口外するなと
陛下より厳命され、
陛下亡き後も、その命令を忠実に守り続けている。
最も心配していた
暗殺されかけた、ブラムド様ご本人は
まるで、その日など存在しなかったかのように
一切何も、覚えておられなかった。
------------
-------
-----
どこかで、雷鳴が聞こえる。
こんなに澄み渡った蒼天なのに。
⋯⋯。
私は多分、きっと、
心のどこかで期待していたのだ。
もしも、
もしもあの御子様に何があれば、と。
そうすれば⋯⋯⋯。
そんなこと、あるわけないのに。
大義名分を、己の中でいくら正当化しても
根底にあるのは、自分のことだけ。
叶うはずもない、夢想の願いだけ。
結局、揺らがなかったのは「あの人」だけだった。
先に裏切ったのは、私の方だったのだ。
でなければ【アレ】が
あそこにあるはずが、無いのだから。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
なんだか、
ひどく、疲れた。
後悔しないと、決めていた筈なのに。
ああ本当に、本当に滑稽な私。
最初から最期まで道化のようだった。
ごめんなさい、先生。
貴方のような「剣」にはなれなかった。
その資格が無かった。
貴方の名誉を汚した罪は、すぐにけじめを付けます。
だから大丈夫。
何も心配しないでください。
ああ
本当に、良い天気。
日向がとてもあたたかい。
こんな気持ちいい、日向のもとを
あの子と歩いてみたかった。
畳む #王と皇帝
雲一つない快晴の
のどかで
穏やかな日だった
きっとこんな気持ちのいい日に
悪いことなど起こりはしないと
心のどこかで
呑気に
そう思い込んでいたのだろう
暗殺

-Side A-
木の葉がひらりと
舞い落ちるように、何気なく
目の前にいた上官の首が
静かに、落ちた。
え?
という声をあげる間もなく
その傍にいた同僚も、首をひと突きされ
呻き声ひとつなく、崩れ落ちた。
どさり、と人が倒れた音に
驚いた殿下が振り向く前に
私はしっかりと、小さな殿下を
胸に抱え込むことに成功した。
大丈夫。殿下は見ていない。
しかし、私ができたのはそこまでだった。
銃を抜く前に斬られる者。
撃つ前に腕を落とされた者。
私以外の、4名の護衛は
一瞬にして屠られた。
場違いなほど、爽やかな風が
さぁっと流れる。
私は、殿下を抱え込んだまま
只々、混乱していた。
なぜ
あなたが。
しかし、これ以上考えている時間はない。
目の前の「刺客」は
一歩、また一歩と、こちらに迫っている。
まるで、庭の手入れをするかのような足取りで
血濡れた刀身を、ひと払いしながら。
逃げなければ。
動かなければ、死ぬ。
まだ3歳になったばかりの
幼い殿下が殺されてしまう。
氷を纏ったかのような
全身の冷や汗とは対照的に
胸元に感じる、小さくあたたかな温もりが
折れそうな私の闘志を、辛うじて奮い立たせた。
無意識のうちに、腕に力が入ったのだろう。
強く抱きしめる私に抗議するかのように
殿下の、窮屈そうな幼い声が
私の胸元から上がった時。
「刺客」は一瞬、
凍り付いたように動きを止めた。
瞬間。
身体はもう動いていた。
視界に土煙が拡がる。
全力で地面を蹴ったことで、土がめくれ上がったようだ。
そう思考が追いついた時にはすでに
私は、全力で駆け出していた。
心臓の音が、ひどくうるさい
私は
これまで祈ったこともない
「神」に祈りながら
背後に迫る殺気を
振り切ることに必死だった
だから
胸元に収まる 小さな存在が
ゆっくりと、「眼」を開き
背後の刺客を見据えたことに
一切、気付くことはなかったのだ
-----------------------------
-Side B-
-とある帝国重臣の日記-
(現在は焼却され、一切の記述は残されていない)
恐ろしい事が起きた
ブラムド皇子が暗殺されかけたのだ
それも皇居の敷地内で、である
ことの始まりは、×日・午前10時頃
ブラムド皇子が散歩にいきたいと、騒ぎ出したそうだ
この日、陛下は急な会合の為
アドゥミラ公国へ出立して3日目を迎えた朝だった
クラウディア皇后陛下は、
姫君を出産してから体調が思わしくないアイリス妃に
連日のように付き添っておられた
ご両親にかまって頂けない寂しさもあったのだろう
その日の殿下はことさら聞き分けがよろしくなく、
強情であったそうだ
親衛隊である1番隊の殆どは、陛下に同行
3番以下の部隊も、
生まれたばかりの姫君の警護に張り付き
九夜を経過するまでは、厳戒態勢を敷いている
この間は他の皇族も、公の場に出ることは控え
皇宮にも渡らず、お住いの宮で過ごすことが
慣例となっている
いつもであれば、母上である皇后陛下が
皇子をなだめてくださるが
陛下はもう、二日も殿下と顔を合わせていなかった
侍女たちもすっかり困り果てていたところ
「皇居内の『西の園』までなら、お供いたしましょう」
と 、オルハが申し出たので
二番隊の隊員5名を引き連れて
散歩へとお出かけになられた
厳戒態勢を敷かれている皇居の敷地内
何も危険なことはないと、判断してのことだったのだろう
その結果
二番隊の副隊長、オルハを含む
隊員4名が殉職
1名が重傷を負いながらも
皇子を無傷で生還させた
現在、皇子は皇后陛下と共に
一級警護のもと、私室で大人しくお過ごしになられている
幸いにも、皇子は救出された際には
気絶していた為、暗殺されかけた時の状況を
覚えてはおられないようだ
後々、御心に傷となって残る心配はないだろう
一方、重傷を負ったアズマ隊員は
一時生死の境を彷徨ったそうだが
時間が経つにつれて、驚異的な早さで快方に向かっている
どうやら『スティグマ』は、回復力も怪物級であるらしい
陛下があの『スティグマ』の少年を拾った時は
いい加減にして頂きたいと、眩暈を覚えたものだが
彼がいなければ、皇子は間違いなく殺されていただろう
精鋭のカラビニエ4名を
反撃の隙を与えることもなく葬り
『鬼人(キビト)』と呼ばれるほどの
身体能力を誇る『スティグマ』に重傷を負わせた刺客
その正体を、私は最初から
分かっていたような気がする
アズマ隊員に意識が戻った時
彼は、団長のロディエルにすら
『刺客』の名を話そうとはしなかったそうだ
おそらくロディエルも、
その様子から全てを悟ったに違いない
人払いをした後
アズマ隊員の口から『その名』を聞いた私に
彼はその後一切、何も訊ねなかった
皇子を狙った『刺客』は
『あの者』は
もう二度と、皇宮には現れまい
おそらく今日から数日も経たぬ間に
『死体』がどこかであがるはずだ
どこの誰かも知られないまま
闇に葬られる
『自殺者の死体』が
畳む #王と皇帝
のどかで
穏やかな日だった
きっとこんな気持ちのいい日に
悪いことなど起こりはしないと
心のどこかで
呑気に
そう思い込んでいたのだろう
暗殺

-Side A-
木の葉がひらりと
舞い落ちるように、何気なく
目の前にいた上官の首が
静かに、落ちた。
え?
という声をあげる間もなく
その傍にいた同僚も、首をひと突きされ
呻き声ひとつなく、崩れ落ちた。
どさり、と人が倒れた音に
驚いた殿下が振り向く前に
私はしっかりと、小さな殿下を
胸に抱え込むことに成功した。
大丈夫。殿下は見ていない。
しかし、私ができたのはそこまでだった。
銃を抜く前に斬られる者。
撃つ前に腕を落とされた者。
私以外の、4名の護衛は
一瞬にして屠られた。
場違いなほど、爽やかな風が
さぁっと流れる。
私は、殿下を抱え込んだまま
只々、混乱していた。
なぜ
あなたが。
しかし、これ以上考えている時間はない。
目の前の「刺客」は
一歩、また一歩と、こちらに迫っている。
まるで、庭の手入れをするかのような足取りで
血濡れた刀身を、ひと払いしながら。
逃げなければ。
動かなければ、死ぬ。
まだ3歳になったばかりの
幼い殿下が殺されてしまう。
氷を纏ったかのような
全身の冷や汗とは対照的に
胸元に感じる、小さくあたたかな温もりが
折れそうな私の闘志を、辛うじて奮い立たせた。
無意識のうちに、腕に力が入ったのだろう。
強く抱きしめる私に抗議するかのように
殿下の、窮屈そうな幼い声が
私の胸元から上がった時。
「刺客」は一瞬、
凍り付いたように動きを止めた。
瞬間。
身体はもう動いていた。
視界に土煙が拡がる。
全力で地面を蹴ったことで、土がめくれ上がったようだ。
そう思考が追いついた時にはすでに
私は、全力で駆け出していた。
心臓の音が、ひどくうるさい
私は
これまで祈ったこともない
「神」に祈りながら
背後に迫る殺気を
振り切ることに必死だった
だから
胸元に収まる 小さな存在が
ゆっくりと、「眼」を開き
背後の刺客を見据えたことに
一切、気付くことはなかったのだ
-----------------------------
-Side B-
-とある帝国重臣の日記-
(現在は焼却され、一切の記述は残されていない)
恐ろしい事が起きた
ブラムド皇子が暗殺されかけたのだ
それも皇居の敷地内で、である
ことの始まりは、×日・午前10時頃
ブラムド皇子が散歩にいきたいと、騒ぎ出したそうだ
この日、陛下は急な会合の為
アドゥミラ公国へ出立して3日目を迎えた朝だった
クラウディア皇后陛下は、
姫君を出産してから体調が思わしくないアイリス妃に
連日のように付き添っておられた
ご両親にかまって頂けない寂しさもあったのだろう
その日の殿下はことさら聞き分けがよろしくなく、
強情であったそうだ
親衛隊である1番隊の殆どは、陛下に同行
3番以下の部隊も、
生まれたばかりの姫君の警護に張り付き
九夜を経過するまでは、厳戒態勢を敷いている
この間は他の皇族も、公の場に出ることは控え
皇宮にも渡らず、お住いの宮で過ごすことが
慣例となっている
いつもであれば、母上である皇后陛下が
皇子をなだめてくださるが
陛下はもう、二日も殿下と顔を合わせていなかった
侍女たちもすっかり困り果てていたところ
「皇居内の『西の園』までなら、お供いたしましょう」
と 、オルハが申し出たので
二番隊の隊員5名を引き連れて
散歩へとお出かけになられた
厳戒態勢を敷かれている皇居の敷地内
何も危険なことはないと、判断してのことだったのだろう
その結果
二番隊の副隊長、オルハを含む
隊員4名が殉職
1名が重傷を負いながらも
皇子を無傷で生還させた
現在、皇子は皇后陛下と共に
一級警護のもと、私室で大人しくお過ごしになられている
幸いにも、皇子は救出された際には
気絶していた為、暗殺されかけた時の状況を
覚えてはおられないようだ
後々、御心に傷となって残る心配はないだろう
一方、重傷を負ったアズマ隊員は
一時生死の境を彷徨ったそうだが
時間が経つにつれて、驚異的な早さで快方に向かっている
どうやら『スティグマ』は、回復力も怪物級であるらしい
陛下があの『スティグマ』の少年を拾った時は
いい加減にして頂きたいと、眩暈を覚えたものだが
彼がいなければ、皇子は間違いなく殺されていただろう
精鋭のカラビニエ4名を
反撃の隙を与えることもなく葬り
『鬼人(キビト)』と呼ばれるほどの
身体能力を誇る『スティグマ』に重傷を負わせた刺客
その正体を、私は最初から
分かっていたような気がする
アズマ隊員に意識が戻った時
彼は、団長のロディエルにすら
『刺客』の名を話そうとはしなかったそうだ
おそらくロディエルも、
その様子から全てを悟ったに違いない
人払いをした後
アズマ隊員の口から『その名』を聞いた私に
彼はその後一切、何も訊ねなかった
皇子を狙った『刺客』は
『あの者』は
もう二度と、皇宮には現れまい
おそらく今日から数日も経たぬ間に
『死体』がどこかであがるはずだ
どこの誰かも知られないまま
闇に葬られる
『自殺者の死体』が
畳む #王と皇帝
らくがき
#王と皇帝

俺自身は全く覚えていないのだが
小さい頃の俺は、
随分と手のかかる
いたずら小僧だったらしい。
特に2~3歳の頃はひとり遊びすることが多く
広大な城の中を、供も付けず一人で
勝手に歩き回るので
目を離すとすぐに姿を消してしまう俺を
母上や侍女たちはひどく心配したそうだ。
しかし、
ケロッとした様子で戻ってくる俺の行動に
周囲もその内慣れていったという。
俺が『ひとり散歩』からご機嫌で戻ってきた後は、
城内のあちこちでいたずらの痕跡が見つかる。
特に多かったのは落書きだったそうだ。
お気に入りの落書き道具はチョーク。
どうやら親父の研究室から拝借したらしい。
壁や床は格好の獲物で、
中には『なんでこんな所に?』というような
明らかに手の届かない場所や、
普段は立ち入ることはないような場所にまで描いていたらしく
城内のミステリーになっていたとか。
しかし、こんな話をいくら聞かされても
俺は幼い頃、絵を描いていた記憶が無い。
お気に入りだった紫色の猫のぬいぐるみ。
よく遊んでいた積み木の感触。
ボールの色。
幼い頃に触れた玩具の記憶は
今でもおぼろげに残っているのに
どんな絵を描いていたのか
なにを描くのが好きだったのか
俺は、何も覚えていない。
--------------------------------------
「それは何を描いているんだ?ブラムド」
~side B~
中庭の石畳に座り込み、
きょとんとした顔でこちらを見上げた息子は
『んー?』と言って首を傾げた。
落書きの現場を発見されたにも関わらず
怒られるとは微塵も思っていない様子だ。
まぁ別に咎める気も無いが。
こいつは今年3歳になったばかりだが、まぁよく動き回る。
一秒でも停止していない。
そんなチビ猿が大人しくなるのが、
こうやって何かを描いている時だ。
話には聞いていたが
なるほど
随分と奇妙な絵を描く。
妻が心配するわけだ。
こういう時期の子供は
大抵身近な人物や物、
好きな動物や絵本のキャラクターを描くことが多い。
少なくとも、見た事があるものしか描けないはずだ。
生まれて数年足らずのこいつが、
これまで見てきたものなど高が知れている。
にもかかわらず。
こいつは城内では見ることは
有り得ないであろうものを、よく描く。
そう語るミハの表情は、常に不安そうに陰っていた。
しかし、所詮は子供の落書き。
さほど気には留めていなかった。
が。
「…確かにこれは不安にもなるな。」
落書きを眺めながら、ぼそっと呟いた俺の言葉に
ようやく話す気になったらしい息子は
舌足らずな高い声で、喋り始めた。
「あのね~。
これはおじいちゃんで~
あっちはおねえちゃんと~
おねえちゃんのおにいちゃん。
でもね、こっちはあかちゃん!
だからあいにくるんだよ!」
「そうか。」
うむ、予想通り
何言ってるのかひとつも理解できねぇ。
「ぐるぐるしてて~おててつなぐの。
ぼくね!まんなかのやく!
ずっとまんなかにいたの!えらいでしょ!」
「ほう。」
なんか、普段使ってない部分の
脳みそ使うな。この会話。
「でもね~いまはまんなか、だれもいないの。
だれかいないとこまるんだよ。
こまったね?」
俺がいま困っている。
「…誰かがいないとなんで困るんだ?」
言った瞬間、訊かなきゃよかったと心底後悔した。
また支離滅裂なトークが始まるに違いないというのに。
するとこいつは怒った様子で訴えた。
「こまるよ!ちちうえもこまるでしょ!」
知らねぇよ。
あまりに意味不明な話に思わず吹き出すと、
ますます怒り心頭になったらしい息子は、
俺のマントをひっつかみながら
キィキィと喚きだした。
「も~ばかー! ちちうえのばかー!」
「なんでお前に馬鹿呼ばわりされなきゃならんのだ?ん?」
足元で騒ぐ小人を肩に担ぎあげると、
小さな暴君は途端に大人しくなった。
肩車すれば大抵のご機嫌は直るので、ちょろいものである。
俺の頭上ではまだ『こまるのに・・・』
とぶつくさ言っているが
ぷらぷらと嬉し気に揺れている足が
怒りが治まったことを物語っている。
風が冷えてきた。
中庭にも西日が差し込み、
昼と夜の狭間が出来ている。
「もう戻るぞ。
お前が熱を出すと、またうるさく言われるからな。」
反発の声は降ってこないので、返事を待たずに歩き始めた。
うとうとし始めているのかもしれない。
首の後ろがやけに温い。
この待望の世継ぎに対して、
周囲は過保護っぷりは呆れるほどだ。
元々子供好きなミハはまぁわかるとして、
あのマクスウェルでさえ
こいつに対しては随分と対応が甘い。
相変わらずニコリともしないのだが。
だからまたいつもの過剰な心配だと思っていた。
だから実際に様子を見に行くこともしなかった。
しかし。
「これはすぐに消させた方がよさそうだな…。」
妻の、クラウディアの目に入る前に。
中庭の石畳、全てを埋め尽くすように描かれた
おびただしい数の
息子の『落書き』を。
畳む
#王と皇帝

俺自身は全く覚えていないのだが
小さい頃の俺は、
随分と手のかかる
いたずら小僧だったらしい。
特に2~3歳の頃はひとり遊びすることが多く
広大な城の中を、供も付けず一人で
勝手に歩き回るので
目を離すとすぐに姿を消してしまう俺を
母上や侍女たちはひどく心配したそうだ。
しかし、
ケロッとした様子で戻ってくる俺の行動に
周囲もその内慣れていったという。
俺が『ひとり散歩』からご機嫌で戻ってきた後は、
城内のあちこちでいたずらの痕跡が見つかる。
特に多かったのは落書きだったそうだ。
お気に入りの落書き道具はチョーク。
どうやら親父の研究室から拝借したらしい。
壁や床は格好の獲物で、
中には『なんでこんな所に?』というような
明らかに手の届かない場所や、
普段は立ち入ることはないような場所にまで描いていたらしく
城内のミステリーになっていたとか。
しかし、こんな話をいくら聞かされても
俺は幼い頃、絵を描いていた記憶が無い。
お気に入りだった紫色の猫のぬいぐるみ。
よく遊んでいた積み木の感触。
ボールの色。
幼い頃に触れた玩具の記憶は
今でもおぼろげに残っているのに
どんな絵を描いていたのか
なにを描くのが好きだったのか
俺は、何も覚えていない。
--------------------------------------
「それは何を描いているんだ?ブラムド」
~side B~
中庭の石畳に座り込み、
きょとんとした顔でこちらを見上げた息子は
『んー?』と言って首を傾げた。
落書きの現場を発見されたにも関わらず
怒られるとは微塵も思っていない様子だ。
まぁ別に咎める気も無いが。
こいつは今年3歳になったばかりだが、まぁよく動き回る。
一秒でも停止していない。
そんなチビ猿が大人しくなるのが、
こうやって何かを描いている時だ。
話には聞いていたが
なるほど
随分と奇妙な絵を描く。
妻が心配するわけだ。
こういう時期の子供は
大抵身近な人物や物、
好きな動物や絵本のキャラクターを描くことが多い。
少なくとも、見た事があるものしか描けないはずだ。
生まれて数年足らずのこいつが、
これまで見てきたものなど高が知れている。
にもかかわらず。
こいつは城内では見ることは
有り得ないであろうものを、よく描く。
そう語るミハの表情は、常に不安そうに陰っていた。
しかし、所詮は子供の落書き。
さほど気には留めていなかった。
が。
「…確かにこれは不安にもなるな。」
落書きを眺めながら、ぼそっと呟いた俺の言葉に
ようやく話す気になったらしい息子は
舌足らずな高い声で、喋り始めた。
「あのね~。
これはおじいちゃんで~
あっちはおねえちゃんと~
おねえちゃんのおにいちゃん。
でもね、こっちはあかちゃん!
だからあいにくるんだよ!」
「そうか。」
うむ、予想通り
何言ってるのかひとつも理解できねぇ。
「ぐるぐるしてて~おててつなぐの。
ぼくね!まんなかのやく!
ずっとまんなかにいたの!えらいでしょ!」
「ほう。」
なんか、普段使ってない部分の
脳みそ使うな。この会話。
「でもね~いまはまんなか、だれもいないの。
だれかいないとこまるんだよ。
こまったね?」
俺がいま困っている。
「…誰かがいないとなんで困るんだ?」
言った瞬間、訊かなきゃよかったと心底後悔した。
また支離滅裂なトークが始まるに違いないというのに。
するとこいつは怒った様子で訴えた。
「こまるよ!ちちうえもこまるでしょ!」
知らねぇよ。
あまりに意味不明な話に思わず吹き出すと、
ますます怒り心頭になったらしい息子は、
俺のマントをひっつかみながら
キィキィと喚きだした。
「も~ばかー! ちちうえのばかー!」
「なんでお前に馬鹿呼ばわりされなきゃならんのだ?ん?」
足元で騒ぐ小人を肩に担ぎあげると、
小さな暴君は途端に大人しくなった。
肩車すれば大抵のご機嫌は直るので、ちょろいものである。
俺の頭上ではまだ『こまるのに・・・』
とぶつくさ言っているが
ぷらぷらと嬉し気に揺れている足が
怒りが治まったことを物語っている。
風が冷えてきた。
中庭にも西日が差し込み、
昼と夜の狭間が出来ている。
「もう戻るぞ。
お前が熱を出すと、またうるさく言われるからな。」
反発の声は降ってこないので、返事を待たずに歩き始めた。
うとうとし始めているのかもしれない。
首の後ろがやけに温い。
この待望の世継ぎに対して、
周囲は過保護っぷりは呆れるほどだ。
元々子供好きなミハはまぁわかるとして、
あのマクスウェルでさえ
こいつに対しては随分と対応が甘い。
相変わらずニコリともしないのだが。
だからまたいつもの過剰な心配だと思っていた。
だから実際に様子を見に行くこともしなかった。
しかし。
「これはすぐに消させた方がよさそうだな…。」
妻の、クラウディアの目に入る前に。
中庭の石畳、全てを埋め尽くすように描かれた
おびただしい数の
息子の『落書き』を。
畳む
通り雨
#王と皇帝

渇きを癒して すぐ止んだ
私の愛しい通り雨
------------
幼い頃、雨の日が大好きだった。
みなが家に籠もり、
町から人の気が無くなる薄暗い日。
誰もいない小道を
母といっしょに散歩できる唯一の日だった。
あの頃、僕にとって外の世界は
雨の世界が全てだった。
いつもは潜めている声も
雨の音が全て消してくれる。
僕をジロジロ見てくる人々も
雨が家の中へと封じ込めてくれる。
誰も見てくる人がいないから、
いつもは隠している眼で
空を見上げることもできた。
雨が
僕にわずかな自由を与えてくれた。
そのせいだろうか。
いつからか、僕がふと願うと
雨が降るようになった。
庭先の花が枯れそうになった時も。
隣の山で火事が起こった時も。
母と離れ離れになったあの日も。
僕を不安から守るかのように、雨が降った。
兄のもとで暮らすようになって
すっかり背丈も伸びきった頃
雨は、ほとんど降らなくなっていた。
もうお守りはいらないのだと
弱い子供ではなくなったのだと
そう思っていたのに
最近また
雨が、よく降る。
---------------------------

おまえは雨みたいな男だな
そう言うと
むかしから雨男なんだよ
と返ってきた
そういう意味で言ったつもりではなかったが
うまく説明する言葉が見つからなかったので
そのまま言い流すことにした
確かに、よく雨が降る
私が出かけようと思った時には、特に。
その度に奴は、
遣らずの雨だねぇ
と、うれしそうにぬかすので
こちらもすっかり
毒気を抜かれるのだ
本当に
雨みたいな男だった
----------------------------------
きっと一生、忘れることはない

漆黒の葬列に
似つかわしくない程の
紺碧の空
雲ひとつない快晴の日
わずかに震えていた父の手と
まるで幻のように降った
あの雨を
----------------------------------
畳む
#王と皇帝

渇きを癒して すぐ止んだ
私の愛しい通り雨
------------
幼い頃、雨の日が大好きだった。
みなが家に籠もり、
町から人の気が無くなる薄暗い日。
誰もいない小道を
母といっしょに散歩できる唯一の日だった。
あの頃、僕にとって外の世界は
雨の世界が全てだった。
いつもは潜めている声も
雨の音が全て消してくれる。
僕をジロジロ見てくる人々も
雨が家の中へと封じ込めてくれる。
誰も見てくる人がいないから、
いつもは隠している眼で
空を見上げることもできた。
雨が
僕にわずかな自由を与えてくれた。
そのせいだろうか。
いつからか、僕がふと願うと
雨が降るようになった。
庭先の花が枯れそうになった時も。
隣の山で火事が起こった時も。
母と離れ離れになったあの日も。
僕を不安から守るかのように、雨が降った。
兄のもとで暮らすようになって
すっかり背丈も伸びきった頃
雨は、ほとんど降らなくなっていた。
もうお守りはいらないのだと
弱い子供ではなくなったのだと
そう思っていたのに
最近また
雨が、よく降る。
---------------------------

おまえは雨みたいな男だな
そう言うと
むかしから雨男なんだよ
と返ってきた
そういう意味で言ったつもりではなかったが
うまく説明する言葉が見つからなかったので
そのまま言い流すことにした
確かに、よく雨が降る
私が出かけようと思った時には、特に。
その度に奴は、
遣らずの雨だねぇ
と、うれしそうにぬかすので
こちらもすっかり
毒気を抜かれるのだ
本当に
雨みたいな男だった
----------------------------------
きっと一生、忘れることはない

漆黒の葬列に
似つかわしくない程の
紺碧の空
雲ひとつない快晴の日
わずかに震えていた父の手と
まるで幻のように降った
あの雨を
----------------------------------
畳む
#皇子と奴隷 畳む